第7回「科学と社会」意見交換・交流会を光化学者の福村裕史さん(元東北大学理学研究科長、元仙台高等専門学校校長)をゲストに迎えて開催しました(2024.10.25)

 心豊かな社会をつくる会(代表:大草芳江)では、知的好奇心がもたらす心豊かな社会の創造にむけて、「科学と社会」をテーマに、毎回、各界から多彩なゲストを迎え、宮城の日本酒を交えながら、ざっくばらんに政策立案に資する議論を行うニュータイプの意見交換会を定期開催しています。「科学と社会」についての捉え方は、立場によって異なります。議題は、ゲストが「科学と社会」をどのように捉えているかからスタートし、その切り口から、参加者同士で議論を行います。

 第7回目は、東北大学理学研究科長や仙台高等専門学校校長などを歴任した、光化学者の福村裕史さん(東北大学名誉教授)をゲストに迎えて10月25日に開催し、サイエンスとエンジニアリングの両方を知る立場から福村さんが今、社会に対してリアルに感じていることを中心にお話いただきました。

 今回も理工系のみならず文学や経済など幅広い分野の方からご参加いただき、科学を社会と共有するための方策や課題等について多方面から活発な議論を行うことができました。ゲストスピーカーをお引き受けいただいた福村さん、ご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。議論の様子は、市民参加型の政策立案プロセス検証の一環として無記名で議事録を作成し、以下に概要を公開します。

【開催概要】
第7回「科学と社会」意見交換・交流会

【日時】2024年10月25日(金)19:00~21:00
【場所】綴カフェ(仙台市青葉区北目町4-7 HSGビル1階 https://tsuzuri.jp/
【ゲスト】福村裕史さん(光化学者。東北大学名誉教授、イデア・インターナショナル株式会社・研究開発顧問、東北大学理学研究科化学専攻・客員研究員)
[略歴] (ふくむら・ひろし)1953年生まれ。1983年東北大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)、同年通商産業省工業技術院大阪工業技術試験所研究員、1988年京都工芸繊維大学繊維学部助手、1991年大阪大学工学部応用物理学科助手、1995年大阪大学工学研究科応用物理学専攻助教授、1998年東北大学理学研究科教授、2016年国立高専機構仙台高等専門学校校長、2021~2023年ルーヴェン・カトリック大学(ベルギー)客員教授。

議事録(概要)

ゲストの福村裕史さん(東北大学名誉教授)による講演要旨

 はじめに、私なりの言葉の定義から。「科学」とは「ある対象を観測や実験により調べ、  理由(法則)を知ろうとする行為」であり、「技術(工学)」とは「社会の中で問題になっていることを解決するための工夫および運用」と定義したい。「科学と社会」を考えるとき、私たちは「役に立つ」技術を通して社会への貢献を考えがちである。しかしながら実際には、基礎科学から社会の役に立つ技術への展開には数十年以上を要し、しかも当初には予想もしなかった用途開発によって社会に還元されることが多い。また、技術を介さないかたちで、社会に影響を与えることがあることも忘れてはならない。ここでは、このような科学と技術、社会の関係について、講演者が専門とする光化学の歴史を振り返りながら説明する。光化学のトピックスとして、主にレーザー加工、光学顕微鏡の分解能、太陽電池開発について取りあげる。
 特に光学顕微鏡の分解能について詳しく解説する。光学顕微鏡の空間分解能は、観察に用いる光の波長(数百ナノメートル)の半分程度(約200ナノメートル)が限界であるため、その回折限界を超えてナノスケールでの観察は理論上不可能というのが物理の常識だった。では、なぜ従来の光学顕微鏡の解像度の限界を超えて、ナノスケールの観察が可能になったのか(2014年ノーベル化学賞)。そのブレイクスルーのひとつが分子1個を見る「単一分子計測技術」であり、私も研究黎明期から興味を持っていた。しかし1990年当時は単一分子の研究が顕微鏡の分解能の飛躍的向上に役に立つとは誰も想像できなかった。このような「役に立ちそうもない」科学(基礎研究の大切さ)に対する理解を社会に育むため、科学を担う側にも、社会に対する発信の責任があるだろう。

議論の様子(一部抜粋)

Q.  「ナノを光で見る」研究は日本がリードしていたが、なぜ40ナノメートルで止まり、オランダに抜かれてしまったのか。40ナノメートルまでは「技術」で到達できたが、そこから先は「科学」が必要だったのか。

A. 経済の問題かもしれない。オランダがサイエンスパークをつくり始めた時、よくこんなに人を集めて研究させるだけの財力と政策があるものだと驚いた。1980年代までは日本も通産省主導の研究所や民間の研究所がたくさんあったが、1980年代の後半には空洞化が始まっていた。失われた40年と思っている。なぜそうなったのだろう。通産省の職員時代、民間の経営者が「日本は得意なメモリだけをつくっていれば勝ち残れる」と強調していたことが印象に残っている。政治や経済界のトップが勝手に限界をつくったせいではないだろうか。大学は独法化が始まってから駄目になったと思う。

Q. オランダでは、雇われているポスドクの立場でも「私は何をすればよいか」と聞くと、「君は何をやりたいのか?」と聞かれる。一方で日本はなぜあんなにプロジェクトの目的をつけたがるのだろう。

A. 会社も大学もゆとりがないためでは。「自由にやってください」というのはほぼない。教授の傘下に入らなければ指導ができないので、結局、博士の学生や若手の主導権はない。クリエイティブな仕事は30~40代が多いが、ボスの仕事をやらざるを得ず、オリジナルな仕事をしても自分が独立した時には自分の仕事にはならない。日本の構造は悪循環で、結局、若手優遇と言っても実際には優遇されていない。これではアカデミアの国際競争力がなくなるのは仕方がない。

Q. 日本の20年後は「失われた50年」になっていると賭けてもいい。上の人の言うことを聞く人が偉くなり、本当にクリエイティブな人は上に行けない。日本は負けるに決まっている。

A. 日本人は変なことを知りたい意識はあるので、イグノーベル賞のような感じで、オリジナルなものが出てくるかもしれない。そこは否定できないと思うが、制度的に、システマティックに生産していくところは下手。やはり、ゆとりがないのだと思う。

Q. 経済が何とかならないものだろうか。

A. ベルギーもオランダも、ドクターの学生は授業料がほぼ無料。それは企業がプロジェクトにお金を出してくれるためである。プロジェクトごとにクレジットカードが支給されるため、会計担当の人を雇う必要もない。研究に対する社会の理解と支えが非常に大きい。それをどのようにして維持できているかはよくわからないが、社会がそれだけ豊かなのだろうか。

Q. オランダは資源がないので、技術で食っていくしかないという覚悟がすごい。お金に関しては、すべての旅費を日本は申請する必要があるが、オランダでは2週間遊び、滞在費は自分持ちだが往復の飛行費は研究費を使える。

A. 日本のしくみはRigid(厳格、融通が利かない)過ぎる。日本は維持・管理のために人を雇っている。逆に維持・管理の仕事を増やしてお金を分配しているという考え方もあるが、無駄なことにマンパワーをかけている気もする。

Q. 基礎研究が蔑ろにされている。文系なんて要らない、と。皆の発想は、国の富を増やすための科学だが、普遍的な科学の知識を向上させていく重要性と折り合いをつけられないものだろうか。ただ、正直言って、この体質は変わらないのではないかと、絶望している。もはや、わかる優秀な人は海外に出て、研究した方がよいのでは。AIの登場で言語の壁はなくなり、思考の交流は活発化するので、文化は均一化していく。その中で、国の富の問題をどう解決していくのか。日本だけを見ていても解決策は見えてこない。

Q. ノーベル賞が何の役に立つのか。将来予見可能な社会と考えるのが愚か。

Q. 集中と選択のせい。科学的な発見が計画できる、という前提がおかしい。

Q. 集中と選択は、投資的にはやってはいけないことで、分散投資が基本。

Q.  科学とは見出そうとする”試み”であって、見出だせたら万々歳だ。

Q. 科学が社会に直接影響を与えた話(片山正夫著『化学本論』が宮沢賢治に影響を与えたエピソードなど)や、技術が科学を変え、その科学が社会を変えた話(写真の進歩の歴史)に感銘を受けた。

Q. 今までネガティブな例だったが、逆に社会が科学に与えた良い影響は?

A. 環境問題など、科学やエンジニアリングで解決しようとなってきた。

Q.  社会の中の個々人の考え方の違いは、戦後教育によるものだろうか?

A. アメリカもヨーロッパも、そもそも日本と違うから仕方がない。逆に言えば、どこかに財布を忘れても届けてくれる国は他にない。それは日本の美点でもあるし、出る釘を尊重しない風土の方が、全部自由な国より、住みやすい人もいる。もしそれが全部ヨーロッパ並になったらどうなる?それはわからない。

Q.  例えば、量子力学も、波と粒で説明できることが科学の強いところ。でもそれで本当に説明できているのだろうか。理論があって技術があって、しかしほとんどの人間は末端で接しているので、理論まで理解しろというのは無理な話。みんな本当に理解できているか?本当のことはわからない。それを受け入れたところで科学の人間は責任を持つべきである。

<宮城の日本酒>

 ざっくばらんな意見交換を促進することを目的として、季節の限定酒をご用意しました。なお、以下は用意した日本酒の銘柄、造り、使用米、精米歩合、製造年度を示しています。

1.墨廼江 大吟醸 弁慶岬 山田錦40% 4BY
  石巻の墨廼江の代表格大吟醸 ラベルは蔵所有江戸時代の絵

2.浦霞 純米大吟醸 No12 山田錦45% 5BY
  No12は浦霞の蔵から採取された協会酵母 
  その酵母で醸された年に一度の純米大吟醸

3.乾坤一 純米大吟醸 Ryu Ryu Shinka 山田錦50% 5BY
  宮城県産契約栽培米山田錦で3年を費やし完成した純米大吟醸
  Ryu Ryu Shinkaの名の由来は 粒粒辛苦の俗語

4.黄金澤Mix 黄金澤×萩の鶴 米・精米歩合非公開 5BY
  黄金澤の酒を造るにあたり 萩の鶴の麹も使用した試験醸酒

5.萩の鶴 Gradation 米・精米歩合非公開 5BY
  仕込水の一部に日本酒を贅沢に使った試験醸造酒 貴醸酒


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