第2回「科学と社会」意見交換・交流会を経営学者の大滝精一さん(至善館副学長・東北大学名誉教授)をゲストに迎えて開催しました(2024年2月26日)

 心豊かな社会をつくる会(代表:大草芳江)では、知的好奇心がもたらす心豊かな社会の創造にむけて、「科学と社会」をテーマに毎回各界から多彩なゲストを迎え、宮城の日本酒を交えながら、ざっくばらんに政策立案に資する議論を行うニュータイプの意見交換会を定期開催しています。
 「科学と社会」についての捉え方は、立場によって異なります。議題はゲストが「科学と社会」をどのように捉えているかからスタートし、その切り口から、参加者同士で議論を行います。議論の様子は、市民参加型の政策立案プロセス検証の一環として公開することにより、広く社会と共有します。
 第2回目のゲストは、経営学者の大滝精一さん(学校法人至善館理事・副学長、東北大学名誉教授)です。東北大学大学院経済学研究科在籍中から専門研究のみならず地域貢献にも尽力し、内閣府やNHKなど様々な委員を歴任、現在は東京のビジネススクールで人材育成に携わる大滝さんから、今リアルに感じている問題意識や知的好奇心の重要性などについてお話いただきました。
 今回も企業や大学、NPO、町内会など多様な立場の方から定員いっぱいとなるご参加をいただき、内発的動機づけやサステナビリティに関する活発な議論が交わされ、盛況のうちに開催することができました。ゲストスピーカーをお引き受けいただいた大滝先生、ご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。議論の様子は市民参加型の政策立案プロセス検証の一環として無記名で議事録を作成し、以下に概要を公開いたします。

<開催概要>

【日時】2024年2月26日(月)19:00~21:00
【場所】綴カフェ(仙台市青葉区北目町4-7 HSGビル1階)イベントスペース https://tsuzuri.jp/
【主催】心豊かな社会をつくる会(代表 大草芳江)
【費用】2,000円(綴カフェのオードブルと宮城の日本酒の実費です)
【ゲスト】大滝精一さん(学校法人至善館副学長、東北大学名誉教授)
[略歴](おおたき・せいいち)
長野県岡谷市生まれ。1975年東北大学経済学部経営学科卒業、1980年東北大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得満期退学。東北大学経済学部長、大学院大学至善館副学長、内閣府個人情報保護委員会委員、日本放送協会経営委員、ユアテック監査役、七十七銀行取締役、日本ベンチャー学会理事、せんだい・みやぎNPOセンター理事、公益財団法人地域創造基金さなぶり理事長等を歴任。日本新事業創出大賞最優秀賞・経済産業大臣賞受賞。

<議事録(概要)>

ゲストの大滝精一さん(学校法人至善館副学長、東北大学名誉教授)による講演

●昆虫少年
 専門は経営学。専門の話は後半で話すが、今日はこれまで人前では話したことがない話を3分の2ほど、「科学と社会」のテーマに結びつけて話す。パーソナルな話だが、自分の一生にとって意味があった。
 今日お話することは、生まれた場所と縁がある。私は1952年に長野県岡谷市で生まれ、標高756メートルに位置する諏訪湖のすぐ近くで高校までを過ごした。山の中にあったので必然的に昆虫少年になった。昆虫少年になった要因のひとつに、父親の影響も大きい。私が幼稚園の年長か小学校低学年の頃、父は私をバイクに乗せ、蝶や虫を採集して標本にすることを、かなりの頻度で積極的にやっていた。
 皆さんの中でも、昆虫少年だった人は多いと思う。昆虫少年も色々で、蝉や蜂には多くの人が関心を持つし、蝶を採集するのは最高の魅力のひとつ。私は、地べたを這う、堆肥やゴミの山にいる虫が好きだった。一般的に「ゴミムシ」と呼ばれるその虫は、汚いから他の人は手を出さないし、捕まえると臭い匂いがするし、油断すると刺されるし、しかもすぐ逃げるのでなかなかゲットできない。それが昆虫少年にとって最大の魅力だった。昆虫少年になると、離れられなくなる。
 なぜそんなに色々な昆虫に愛情を持つかは、人には説明できない。人間に害を持つと言われる蚊や蝿に対しても、私は抵抗がなかった。昆虫の種類としては非常に似ている蝶と蛾も、蝶は好きでも蛾は嫌いな人は多いが、昆虫少年にとっては境目がない。子どもの頃の愛読書はファーブル昆虫記。経営学を終えたら真っ先にやりたいことは、膨大なファーブル昆虫記を最初から最後まで全巻読み終えてから、死にたい。
 多くの昆虫少年は中学生頃から別の世界に入っていくのが大半だが、私はそうではなかった。中学、高校になっても昆虫に魅了され続けた。大学は理学部に進学して昆虫学者になりたかったが、実家を継ぐプレッシャーに負け経済学部に進学した。仙台に来てからもずっと昆虫採集を続け、自分の長男も小さな頃から広瀬川などに連れて行き、同じことを続けた。しかし子どもは、中学生になると昆虫に対する興味を失い、気持ち悪がるようになった。なぜ多くの人がそうなるかは非常に不思議で、研究対象にもなりうるテーマだと思う。

●沈黙の春
 昆虫の世界では、大きな変化が起こった。レイチェル・カーソン著の『沈黙の春』が1962年に出版され、1964年に翻訳版が出た。第二次世界大戦後、伝染病防止や殺虫剤・農薬としてDDT(Dichloro-diphenyl-trichloroethane(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)が大量散布され、大規模農業の効率化に貢献した一方、生態系破壊など恐ろしい副作用をもたらし、花も咲かず虫も来ない沈黙の春が、多くの農場や山間地に訪れたことを書いた本である。
 多くの人に知られるようになったのは新潮文庫の文庫版で、今からちょうど50年前の1974年2月に出た。私も1974年、大学2年生の頃に読んだ。その頃の日本は、1973年の第一次オイルショックで高度経済成長がストップした頃で、当時は公害問題がクローズアップされ、『沈黙の春』は公害問題の中で扱われることが多かった。しかし、この本は単に公害を告発する本ではなく、もっと奥深い色々な議論がある。それが一番頭に残って、自分の生き方に大きなインパクトを与えている。
 『沈黙の春』が書かれて60年余りが経つが、今の我々を予言していたと言っても間違いではない。当時は地球温暖化や気候変動について正面を切って議論する人はいなかった。今は「自然の征服」を言う人はいなくなったが、そういう振る舞いが多く見られるし、表向きはともかく本音ではそう考えている人は今でもいる。

 少々脱線するが、今日は愛読書を他にも3冊持参した。1冊目は奥本大三郎『虫の宇宙誌』で、昆虫愛に満ち満ちており共感して100%賛成してしまう。2冊目は博物学に魅了された荒俣宏の『想像力の地球旅行~荒俣宏の博物学入門~』。読んでいて飽きない、できるだけゆっくり味わいながら読んでいきたいタイプの本。
 3冊目に紹介するのは『昆虫絶滅』という、ショッキングなタイトルの本。若手の科学ジャーナリストが世界中の昆虫学者にインタビューしながら書いた本で、『沈黙の春』から60年以上経った今、昆虫の世界がどうなっているかを丹念に追いかけたもの。地球上の生物の4分の3が昆虫で、名前すら付けられていない昆虫が山ほどいる中、昆虫が絶滅するという客観的・科学的根拠を集めることは不可能だが、地道な研究の積み重ねにより確実に種類も数も減少していることを言っている。もし昆虫の大量絶滅が起こるとすれば、その前に人類絶滅が起こるのは容易に想像でき、背筋が寒くなる。

●昆虫を通して世界を見ることが、企業経営と出会う
 子どもの頃に地べたを這う虫に関心を持ったことが、その後の変化を見る時、見たり考えたりする時の一種のバロメータになっている。地域や社会が変わっていく、世界が変わっていく。小さな窓だが「昆虫」という窓から見た、その生態が変わっていくことが、自分にとっては非常に大きな関心と刺激を与えてくれた。
 昆虫少年生活はその後もずっと続けており、今でも昆虫採集に行くし、昆虫を通して経営学とは違う世界を見ることをたくさんやってきた。それが自分の生活だけでなく、経営学の研究に意味があったのでは、と思うようになったのは、ごく最近のこと。
 企業経営の課題のひとつにサステナビリティの問題がある。会社が如何に気候変動や環境に対して対応するかは、ご存知の通り、今、避けては通れない問題になっている。ずっと昆虫少年で今に至っているが、虫を通して世界を見ることが、今になって企業経営と重なり合っている。「サステナビリティの世界にようこそ」という感じ。今の歳から研究の世界でサステナビリティの研究はできないが、サステナビリティを本格的に取り組んでいる企業や大学、NPOなどの応援は継続的にできると思っている。
 企業も大学もサステナビリティに対する取組みはまだ始まったばかり。世界中でそのような人材をつくっていくことが今、喫緊の課題になっている。経営学の中でまだサステナビリティの世界は研究が始まって間もないが、大学院では大きな柱にして、自分は情熱を持って取り組んでいる。また、地域の中で再生可能エネルギーを循環させる地域新電力事業者の日本最大の団体・一般社団法人ローカルグッド創成支援機構の代表理事も務めている。
 それでも、企業のサステナビリティに対する取り組みに対しては、まだ十分に正面から向き合っていないのではないかと、不満も多く持っている。例えば、生物多様性やSDGsという文字が毎日のように踊り、投資も流行っている。しかしながら本当にスローガンや建前として行っていることと、実際に地に足が付いていることとは、雲泥の差があるのではないか。
 私が虫の世界に惹きつけられた非常に重要なポイントのひとつは、昆虫愛、生命に対する愛、バイオフィリアが背後にあることだと考えている。生命、生物に対する愛情は多くの場合、子どもの頃に育まれる。自然に連れ出して多くのことを体験する。それが身近なところで企業経営にとっても意味があった。自分の人生の最後に、70年ぐるっと回って、今、再び人生にとって重要なところに来たという感じがしている。

議論のようす(一部抜粋)

●子供の頃は昆虫が大好きだったが、小学校中学年頃になると卒業してしまった。「人類は昔から生物多様性に対してアンチな存在だった」という趣旨の本を思い出しながら、サステナビリティは極めて重要だが、もしかすると人間はもともと不得意なところなのかもしれないと思いながら、大滝先生の話を聞いていた。(経済団体関係者)
●なぜ多くの人が中学生頃になると昆虫少年から離れるのかは大きなテーマ。大人になっても一生昆虫愛から抜けない人と、そうでない人は、どこでどのように分かれていくのだろう。親の教育もあると思うが、一種のDNAではないかと思っていた。花開くと刺激されていつまでも続くことがあるのかなと。それとはまた別に、常に自然と触れ合えるような環境、地域性も大事だと思う。自然教育は世界中で色々なレベルで行われていて、雲泥の差がある。それでもある時期から離れてしまう人は多い。人間が自然とどっぷり浸かる機会がなくなることは残念。あんなに自然と一体化していたのに、仕事や進学の関係で離れる。本当にサステナビリティに向き合おうと思った時に何かできないかと、普段から考えている。
●親の「昆虫なんか」という価値観の影響を受けて「昆虫は気持ち悪い、と思わないといけないのかな」と思い始め、だんだん離れていった。大人が枠にはめる考え方があるのでは。(経済団体関係者)
●仙台に来る前にオランダに3年ほど住んでいたが、オランダには昆虫がいなかった。その前にいたアメリカのヒューストンにも、昆虫がいなかった。身のまわりに昆虫がいることは、日本人にとっては当たり前だが、世界的に見ればレア。昆虫に対する日本人の感性は、そのあたりの環境から来るのではないか。また、人類の科学が自然にどのように影響するかは、人類の知が及ばないところもある。それを如何に評価するか、経営学の視点からコメントをいただけると嬉しい。(大学関係者)
●とても難しい問題で、残念だが、今の経営学には見通しをするための色々な考え方やツールはまだ無いと私自身は思っている。企業の人から言わせると「そんなことはない」と言うかもしれないが、まだ非常にプリミティブな段階だと思う。企業が研究開発を通して商品を世界に供給することが、地球環境にどんな影響を与えるか、短期的な意味では議論をしているが、長い目で見てどのように評価していくかは、手探りではないかと思っている。DDTの事例も、短期的に見れば人間に厄介な虫はすぐ殺せるし、農業で生産性は上がる。オランダは農業大国で、徹底的に科学化した経営ノウハウは、その典型例。その裏で虫がいなくなっている。それが本当にさらに長期的に見た時に持続可能なのかは絶えずつきまとう問題である。それに対してどれまで適切な回答を出せるか。私には今すぐにはできない。
●害虫とは、本当に悪だろうか。(環境団体関係者)
●人間から見たら悪だが、蚊には蚊の存在意義がある。人間にとっての害虫が永遠に生き残ることはないかもしれないが、私のような昆虫少年は、虫から刺されて痛いことは我慢する。DDT自体は世界中の多くの国で禁止されているが、昆虫学者の推定によると、DDTの7000倍も威力があるDDTに似た殺虫剤がまだ世界中で使われており、農薬の問題は解決されていない。農薬を持続可能なものにすることは、農薬等の化学製品をつくる企業にとっては喫緊の課題であり、非常に大事なテーマ。
●例えば、寒風摩擦やラジオ体操で体を鍛える意義を、私は実感を伴って知る最後の世代。それをどのように次世代へ伝えていくかは重要な課題だが、今、その道が絶たれていると感じている。(大学関係者)
●サステナビリティの問題も、普段の生活や身のまわりから離れた議論をし始めると宙に浮く。それはとても怖い。そのような議論にならないよう、地に足を付けた議論を、もっとわたしたちは考える必要がある。 私の大学院に学生を定期的に派遣している大手化学メーカーの社長は、当初はビジネススクールで学んだ知識やテクニックを使おうと考えていたそうだが、『沈黙の春』を読んで衝撃を受け、サステナビリティに立ち向かうため、会社のパーパスを新たにつくったと聞いた。企業の第一線にいる人にこそ『沈黙の春』を読んでほしい。これで刺激を受ける人とそうでない人とでは雲泥の差で、サステナビリティの課題に正面から対峙できないと感じる。
 ビジネススクールの学生の平均年齢は35歳で全く感覚が違う。サステナビリティに対する考え方が違っており希望を感じることが多い。商品開発の人の想いや覚悟、取り組み方には学ぶことが多くある。まだまだ捨てたものではない。レイチェル・カーソンの本はDDTの企業告発の色彩はあるが、今は企業の糾弾告発だけでサステナビリティの問題は解決できない。企業に勤めている人材のポテンシャルやパワーを活かしサステナビリティに立ち向かうことがなければ、本当の意味で解決できない。人間がサステナビリティにどう立ち向かえるかはまだクエッションだが、希望があれば、新しいものをつくっていける新しい可能性はまだまだある。
 企業や自治体、政府、NPOやNGOなどの人たちが、よい意味で協働し合いながら立ち向かうことがなければ、問題は解決できない。企業が頑張ればよい、NGOが頑張ればよいわけではないので、私のビジネススクールでも今後ともやっていければいいなと思う。ただ、小さなビジネススクールなのでやれることは限られており、ぜひ東大や東北大にも立ち向かってもらいたい。
●地球上の人口が増える中で皆がよりよい生活を求めた先にどんな未来があるか。非常に複雑な問題で、それを若い人にどう示唆するかは極めて難しい。(大学関係者)
●若い人たち自身が切り拓いていくしかない。わたしたちの小さな頃から何を学んだかを話すことはできるが、次世代が置かれている状況は、かつてとは異なる。大変深い問題で、ある意味で人間がつくっている文明が結局どこへ向かっていくのかを内包している話。私自身は少なくとも答えは出せない。
●数字上うまく効率的に立ち振る舞っている経営者が評価される傾向にあるが、経営者が本当に内発的に動いているのかどうか、経営学において、判定するようなファクターや指標はあるか。(NPO関係者)
●興味深いご質問。私の考えでは、ご質問にあるような経営者の内発的な動きや行動を評価する指標やKPIには、十分な関心や注意が向けられていないと思う。大きな課題だと私自身は感じている。現在の経営者評価の主流は、ご指摘のように、極端に言えば、「現在の業績がすべて、数字がすべて」というもの。特に株主への情報開示が強く求められる現在、この傾向はかつてよりも強まっているように感じる。取締役会でも毎年役員・経営者の報酬決定を行っているが、その多くが現在の会社の業績評価に連動したものになっている。経営者の内発的な面に議論が及ぶことは、まずないと思われる。よい業績をあげた経営者に報いることは、もちろん悪いことではない。取締役会でもこういう割り切りで議論が進んでいることが、ほとんどかと思う。これの何が悪いのかと疑問に思う人もいると思う。
 私は経営者・役員評価を行う際、細心の注意が必要と考えている。というのも、経営者の仕事の大切な部分に直近の業績と結びつかない領域が多く含まれているからである。新規事業への投資、人財への投資、果敢な撤退の決定等々など経営の意思決定の多くが、現在の業績とはすぐに連動しないもの。そして、それをタイミングを逸することなく実行していくには、経営者としての内発的要素が極めて重要。
 簡単に言えば、「あなたはどんな時に経営者としての喜びを感じるか」「経営者としてあなたは何を成し遂げたいか」といった問いへの答え。金銭的な報酬はもちろん重要だが、経営者の仕事の魅力にはより内発的な要素が必ずやあるはず。残念だが、この問いに答える客観的な指標は、未だ開発されていないと思う。したがって、私は経営者・役員の評価をする際、主観的であっても、そうした要素を加味した判断を行うように努めている。現在のコーポレート・ガバナンスのあり方も、あまりに株主に傾斜しており、これでいいのか疑問を感じている。ここはやや専門的になり過ぎるので、またの機会が適当かと思う。

<宮城の日本酒>

 ざっくばらんな意見交換を促進することを目的として、季節の限定酒をご用意しました。なお、以下は用意した日本酒の銘柄、造り、使用米、精米歩合、製造年度を示しています。
1.ZAO 純米大吟醸責め       山田錦40% 4BY
2.伯楽星 純米大吟醸おりがらみ生雪華 雄 町40% 5BY
3.日高見 純米吟醸うすにごり生    山田錦50% 5BY
4.橘屋 秘傳山廃純米吟醸生原酒    蔵の華50% 5BY
5.白露垂珠 純米大吟醸直詰め生    雪女神50% 5BY


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